ザムザ阿佐ヶ谷は商店街や住宅街の中に一際目立つ個性的な建物の地下にあります。 茶系のラウンド外壁に小さめの小窓が所々に。 上階はレストラン山猫軒があり、そのテーブルやイスが外からも望めました。
雨が降りしきる中、18時30分頃に開場。 狭い階段を降りるのと、名前の確認のためか、なかなか列は進まず、 ようやく屋根の下に入った頃には足元・肩はびしょぬれ。待ってるのも大変でした。(笑)
通路で受け付けを済ませ、会場へ。 会場は蔵のような土間のような。座席は急な階段状になっていて舞台がその下方に広がる。 壁は土壁風、天井後方には太い梁が渡されていたり、暗く落ち着いた雰囲気。 雰囲気を壊さない程度の控えめな照明もいい。 舞台にはサイドテーブル(いつものペットボトル水)とイス、マイクスタンド、キーボード。 会場は徐々に埋まり、時間が近付くにつれて独特な緊張感が漂う。
19時過ぎ、河出書房新社の方の挨拶があり、小脇に何冊かの本を持って宮沢氏登場。 宮沢氏は、黒字に時計・三つ葉のクローバーのイラストの入った派手目シャツにベージュ系のパンツ。首元には、お魚チョーカー。赤茶の縁ありメガネ。
軽くお辞儀をしてイスに座る。 会場を見渡し、唐突に『うんち』を読み始め笑いを誘う。 子どもに語りかけるような口調が本当にやさしい。
続けて『うんち その弐』『ハエを追う』。 「こんなのばっかだなぁ…」「臭いの、好きなんです」と笑う。
「ちょっと品のいいのを…」と言いながら『バカばっかり』。(笑) テンポよくリズムのあるセリフ部分が心地いい。
『大好きな君』 紙と消しゴム付きの山吹色の鉛筆を取り出し、実際に絵を描きながらの朗読。 描いているために微妙な間ができ、またそれもおもしろい。「ひどいなこりゃ!」等、つぶやきながらのひととき。最後、鉛筆をくわえたり!(笑) 出来上がった絵はかなり笑いを誘う出来。どうも鶴来さんだったらしい。 そして「こんな娘がタイプなんです」と言いながら(笑)前列のお客さんにプレゼント。
「詩に触れたのは教科書に出てくる詩が最初なんですけど 高村光太郎や三好達治や谷川俊太郎などありますが 高村さんなんかも教科書っぽいものしかないなかで 中原中也はより悪っぽいところがあって好きで 彼の詩は「みちこ」という詩が一番好きなんですが、七語調で書かれている・・・ その中の『汚れちまった悲しみに』っていうフレーズが印象的で (注・正しくは『汚れっちまった悲しみに』だそうです) 意味もなく休み時間とかに 『汚れちまった悲しみに・・・なあ?』と後ろの席の友達などと言い合っていました。 教科書の西郷隆盛にひげを、キルケゴールに前髪を書いているような きっと隣の席に必ずいたような男のコでした」
セイフティブランケットにも書かれていた、自身が初めて詩というものに感銘したという、 同級生の女の子の書いた詩の話。「悪魔になりたかった私」という詩と、 控えめな本人とのギャップに驚きを感じたそうです。
そのあと以前住んでいた下北沢のアパートの話。 下は牛乳屋さん、隣りは中華料理店で、いろんなもの(ゴ、とか・笑)が飛んできたとか。 「ガスがなかったんですが…」と『お湯をわかそう』。
「じゅうたんのサイズがあってなくて端で10くらい折っていたんです。 そのじゅうたんの壁の隙間に30回ローンで買ったエアコンから 水が垂れていたのをわかってはいたのですが、あえてそのままにしていたらですね。 その絨毯の一部が手前に盛りあがってきまして。 あるひ覗いてみたら、こんな(ペットボトルを持ち上げる)キノコが生えていまして。 グレーの立派なやつで・・・それがおいしそうなんですよ。 すぐに近所の本屋さんに行って図鑑を調べてみたら、それがすごく微妙で。 食べられるのと食べられないのと。食べても死なないけど、麻痺する・・・と。(笑) 結局そのキノコはビルの大家さんの庭に植えてきました」
そして鶴来さん登場。
マイクを寄せて『んなっちまったぜ』 「りぞっちまったぜ?」とか、言葉ごとに、おどけたり、困ったり、51もの場面と感情が伝わる。 鶴来さんのキーボードからは、起伏のあるリズムが弾き出されて、どんどん引き込まれていく。
『サル』 楽しげな伴奏から始まり、読み進むごとに不安定なリズムに。 サルに翻弄されながら、サルになりすます自分への気持ちを表しているよう。
『詞人から詩人へ』を手に取り、 中から辻征夫『昼の月』。 穏やかな情景の中のせつなさを詠いあげる。
『ゲバラとエビータのためのタンゴ』 アルゼンチンでこの詩を曲にしたという。 一言一言、重く重く伝わる。
鶴来さん退場。盛大な拍手。
谷川俊太郎『世間知ラズ』から『一篇』。
谷川俊太郎『詩を贈ろうとすることは』から『老詩人』。 「もう詩は書かない」と宣言した谷川氏の日常をすべて書ききった心情を 重ねて感じずにはいられない、と。
谷川俊太郎『世間知ラズ』から『夕焼け』。 いくら夕焼けが美しいと感じても、日常は常にそこにあるというようなことを語る。
谷川俊太郎『世間知ラズ』から『世間知ラズ』。 谷川氏の作品で一番好きな詩だが、大切にしたくて『詞人から詩人へ』では あえて取り上げなかったとのこと。谷川氏の思いと自分の思いが重なっているのかも。
『煮物』 「二度死ぬことになる」のところで「007は二度死ぬ」とアドリブ入る。(笑) ”煮物”と表現しているところは”歌”にも置き換えられるのではないかと思う。 腹をすかせた人とは、私たちのことだ。
『次元』『切符』 たとえば納得がいかないことにもある部分妥協し、 自分の意思とは違う方向に自分が歩むことになったりと、 ”不自由”な”不安定な”現状に対する宮沢氏の苛立ちや不安を表しているのではと思う。
そして、不意に「歌を…」で会場大歓声。 鶴来さんも再登場。
『10月』(極東サンバより) 言葉ひとつひとつが会場に響き渡る。
『それでも気車は走る』(極東サンバより)
『漁火』(TOROPICALISM−0°より) ライブではあまり歌ってない小さな曲だが、好きな曲とか。
「初めて子供ができたときには嬉しくて、でも不安もあって… 不安の方が大きかったのですが、嬉しい気持ちを 歌にして子供の名前をつけました」(氷魚くんのミドルネームらしいです)
『JUSTIN』(TOROPICALISM−0°より)
いつものように「ありがとう!」を繰り返し、退場。
アンコール**********
谷川俊太郎『女に』より 『ここ』『未来』
『北上川』 12年前に書いたもので、こうして本になって嬉しいと語る。
「詩で終わりたいけど、歌で終わりたい気持ちも…」(笑)
最後に『TOKYO
LOVE』(極東サンバより) 途中「阿佐ヶ谷の街にもぉ〜♪」と歌う。 このノリのいい曲も、手拍子で和やかな雰囲気でまた違う印象!
深々とお辞儀をして、テーブルの上の本・水とともに(笑)退場。
客席からはため息と、盛大な拍手。
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ザムザ阿佐ヶ谷という会場は蔵のような、土間のような、隠れ家のような、幻像的で落ち着く空間でした。
舞台中央で、宮沢さんが本を手に、時にはメガネをはずして、イスに座って足を組み、詩を読み、語る。
イベントに参加しているというよりは、部屋に招かれて話を聞いているかのような、温かさが伝わってきました。
「うんち」では子どもになったつもりで、「大好きな君」では絵を書いているそのテーブルになったつもりで
「バカばっかり」では”この店”の灰皿になったつもりで、(笑)宮沢さんに向かい合っているような気持ちになれました。
「んなっちまったぜ」では51もの、情景と感情を堪能することができました。
鶴来さんのキーボード演奏とともにテンポ良く読み進む度に妙な緊張感が高まって、可笑しく楽しいことば遊びに引き込まれていきました。
思いがけず歌ってくれた曲も、ザムザ阿佐ヶ谷で、そして朗読会で聴けてよかったと思える嬉しい選曲であり
今までことばがひとつひとつ紡がれていた会場内に、詞が歌声に乗ってやわらかに紡ぎ足されるかのようなひとときでした。
ライブでは「歌手・宮沢」、ドラマでは「俳優・宮沢」、今回の朗読会での「詩人・宮沢」(歌では詞人?)
と、すべて同じ人物なのか?と思うほど、雰囲気や顔つきまで違って見えました。
その中で、一番日常の宮沢さんに近いのは、こういった朗読会で垣間見る「詩人・宮沢」なのではないでしょうか?
宮沢さんが読みたい詩、伝えたい詩を大切に選んで朗読してくださったんでしょうね。
その気持ちまでちゃんと伝わってきました。
これからもずっと日常のものとして、身近なものとして詩に触れていきたいと思いました。
宮沢さん、鶴来さん、スタッフのみなさん、すばらしいひとときを、ありがとうございました!
感想文作者・ぴお 製作協力&校正者・naoちゃん おけいちゃん
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